2010年 07月 10日
なんとまたまた山形からのさくらんぼ #419 |


★山形がサクランボ王国になるまでのお話
サクランボが日本に渡来したのは明治元年。全国で試作されたものの山形以外では気象条件が合わず失敗。山形は実勢を上げたものの、当時は米などの基礎食料の生産が最優先であり、嗜好品的な農作物は重要視されない時代であった。
戦後新たな時代の嗜好にあった農産物の生産を、山形では官民一体となって行い、全国サクランボシェア75%というサクランボ王国になった。
この官民一体という取り組みは、2000年代では当たり前のように言われるが、神戸の震災以前では大変稀有な取り組みであり、また異業種が協力体制をとったことが、全国展開へと広がった。
異業種の出会いとは、「佐藤錦」という佐藤栄助さんが品種改良した品種の登場とヤマト運輸の小倉昌男さんが1977年に開発した配送革命といわれる個配を対象とした全国小口配送システム「宅配便」が、であったことである。
個人的な努力の積み上げと、時代の流れと要請、それらを繋ぎ合わせた人々のネットワークが、現在の「サクランボ王国、山形」を作り上げたんだ===と感慨にふけりつつ、20粒完食!
なんともいえない甘さと歯ざわりが魅力ですね。
佐藤栄助さんの品種改良した「佐藤錦」が出現するまでは、「生」では食材として対応できず、缶詰になっていたようです。あれも結構私は好きですが。、20粒一気食べはできませんが
by fmyykim
| 2010-07-10 08:09
| エンターテイメント