FMわぃわぃ Kim Chiaki のホームページ
2011-09-01T11:09:37+09:00
fmyykim
神戸市長田区FMわぃわぃから、パーソナリティー金千秋がお送りします
Excite Blog
お客の多いコミュニティラジオ~FMわぃわぃ~でちょっと感動! #473
http://fmyykim.exblog.jp/15287110/
2011-08-16T23:32:00+09:00
2011-08-17T10:32:36+09:00
2011-08-16T23:33:00+09:00
fmyykim
ラジオ局
今日も神戸長田区のカトリックたかとり教会にあるコミュニティラジオ局「FMわぃわぃ」は、千客万来!
いろんな方々がやってきます。
用事のある人もなんとなく来られる方も、そして夏休みで「お暇な中学生、小学生」もやってきます。
彼女彼らは、地域に住む地域の小学校、中学校へ通う、多様な文化背景を持つ子どもたち。
ここでの空間は、お仕事で忙しい大人たちのいるところでもアリ、でもなんとなくいろんな話を聞いてくれる人もいるところでもアリ、、、
自分たちの居場所でなんとなくだべっていた彼女たちの前を、お客様が見えたので、名刺と手帳を持って通った私に中学生の一人が少しひそひそ声で声を掛けたのです。
「お茶出したほうがいい・・?」
この一言に、メッチャクチャ感動した私。
別に強要したわけでもなく、合図したわけでもなく、子ども同志の会話を中断して声かけしてくれたこと。
ちょっとおおげさかもしれないけれど、これこそこのコミュニティラジオの存在している意味があるといえるものでした。
もちろん台所では、すでにお茶の用意をしていたスタッフがいましたが、さっそくその彼女の意向を汲み取り、まずは「失礼します」の声かけ、「誰から先に出すのか」のレクチャーを受けた彼女は、見事にお茶のサーブをしてくれました。
お客が帰られてから私が彼女にかけた「ありがとう」の言葉に、「なんかお客来たら、みんないっつもお茶出しているの見てたから、出したほうがいいんかなって思って」ということでした。
やっぱ私たち大人たちの姿が子どもを育てるんですね~~~といまさらながら納得した次第です。]]>
気仙沼に「たかとり救援基地」みたいな「救援テント村」ができていた! #472
http://fmyykim.exblog.jp/15246895/
2011-08-08T19:57:00+09:00
2011-09-01T11:09:37+09:00
2011-08-08T19:57:32+09:00
fmyykim
災害支援
気仙沼市の市役所の近くにある紫神社。
かなりの石段を登ったところにある小さな神社。高台にあったから、津波からの避難場所になった。神社の小さな本殿の横にある、氏子の集会所はもちろん、境内にはテント村が出来、ソーラパネルまで設置されている。ミュージシャンがやってきて、ライブをし、いろんな人々がそれぞれの役割を果たしている。大きなドラム缶が焚かれ、まるで1995年当時の「たかとり救援基地」のようだ。
この紫神社のリーダーは氏子副代表!なんとタオルを常に頭に巻いているらしい。
首にタオルの神田さんを思い出した!!タオルは寒いとき、暑いとき、作業するとき、日常生活でも本当に役に立つアイテムでもあり、なんとなく「象徴」のように私には思える。
「たかとり救援基地」を思い出すもの。それは「そうめん流し」
これは本当には秋田県からの支援の人々(神戸にも来て下さった方々です)が、持ってきてくださった「稲庭うどん」細めでシコシコ、本当に美味しいうどんでした。
薬味はねぎ、しょうがなどなどなのですが、「いぶりがっこ」が感動的にうまかったのです!!
(これも秋田名物のつまりスモーク沢庵です)
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岩手県大槌町のマスコット「おおちゃん」グッズ #471
http://fmyykim.exblog.jp/15246505/
2011-08-08T18:26:00+09:00
2011-08-24T21:30:30+09:00
2011-08-08T18:26:11+09:00
fmyykim
災害支援
FMわぃわぃからの情報支援のためのスタッフとして、多言語センターFACILの外国人支援の一員として、また関西学院大学「災害復興制度研究所」のプロジェクト「ジェンダーと災害復興」の研究員として被災地を訪れている。
様々な地域での出会いはたくさんあるが、大槌町での千田さんとの出会いは感慨深いものがる。
千田さんは国連難民高等弁務官事務所の専門職職員、世界各地の難民支援を行ってこられた。
何年も前FMわぃわぃで、世界の難民についてお話いただく機会もあった。
その方が今は大槌町で被災地支援のため力を尽くしていらっしゃる。その中の一つが、大槌町のマスコット「おおちゃん」を避難所、仮設に入っておられるお母さんたちが制作するというもの。
大槌町は町長はじめたくさんの町役場の方々が、町民避難の対応策を行うため、町役場と共に津波に巻き込まれ犠牲になられた。つまり町役場機能が失われてしまい、復興への時間がとまってしまった。
もちろんそれを取り返すべく、いろんな手当てが行われてきたが、その苦悩は想像に難くない。
東北の様々な地域で立ち上がった、自分たちの「まちの復興」を自分たちからの「声」で支援するという災害臨時FM。その最後にこの大槌にもFM局が出来ようとしている。
この「おおちゃん」もそれに合わせて、被災地グッズとしてデビューする。
ぜひぜひお買い求めくださるようお願いする次第です。]]>
2011年3月11日太平洋沖東北地方大地震 #470
http://fmyykim.exblog.jp/15112025/
2011-07-14T02:06:00+09:00
2011-07-19T04:19:31+09:00
2011-07-14T02:06:22+09:00
fmyykim
市民メディア
3月11日の東北の地震以後、FMわぃわぃは大車輪で被災地への情報支援活動を行ってきた。
しかしこれは当たり前のこと!神戸の震災であんなにたくさんの人々に助けられ、そしてその後もいろ~~~んな方々の支援の中でここまでやってきたFMわぃわぃとしては、それは必然のことであるのだから。
カトリックのネットワークは、全世界に広がる。もちろん日本でも。FMわぃわぃは神戸長田のカトリックたかとり教会の敷地内にある。宗教としての場というだけではなく、そこは市民のいろんなネットワークの場、たかとりコミュニティセンターとして機能している。ひとつの大きなネットワークとしてカトリックの教会からのいろんな繋がりも構築されている。気仙沼教会もそのひとつ。ここでは被災したたくさんのフィリピン人の妻たちが心の癒しを求めてやってくる。ちょうどカトリックたかとり教会でのベトナム人たちのように。
そこで出合ったフィリピン人たちに「被災の思い」「今後の生活」などなどタガログ語で語る番組を制作してもらう予定。その番組制作の講習や機材を届けるために、この教会で出会うことになった。
翌日は宮古FMへ赴いた。一番最初の写真がその放送局。お訪ねする前にお昼ご飯を宮古の駅前で頂いた。
私の頼んだのは「海鮮丼」同行の大阪大学津田守先生は右の「焼ウニ丼」それぞれ¥1200
私の海鮮丼は、お刺身の下からまたまたお刺身、掘ってもほってもご飯が出てこな~~~~~いというくらいのすごい丼でした。宮古駅前に行かれたら絶対このお店へ!!!
次はその翌日の盛岡関前で。地域の笑顔さんの写真がいっぱい。この方はKINGof笑顔です。
この前日は「パフォーマンス」として有名なわんこそばやサンに行きました。
調度ボランティアにやって来ていた若者たちへの地元の若者たちからの歓送迎会として「わんこそば」をしていました。
訪問したのは6月27日ですが、、、、4月1日の統一地方選挙は実行することが出来ずそのままのポスター掲示板が、なんともいろんな思いを語りかけてくれます。
盛岡の国際交流協会。素晴らしいビルの中にあり、一瞬東京丸の内、、、って感じです。
ここにも世界からの応援メッセージが届いていました。
これは道の駅で買った「超超うまい」アイス最中。
ミルクが生ミルクって感じで濃厚!かつ地域の高校生の開発商品のようだ。な==んとなく生キャラメルのようなアイスのなかに海の味っぽいものがあり、昆布のようなものも入っている。
しかしうまい!!!!また食べたいものである。
FMわいわいは、95年の阪神淡路大震災直後に
神戸市に居住していた被災外国人に情報を提供することを主目的に
定住外国人市民と日本人市民により設立されたという経緯がある。
その経験から95年以後も地域での放送活動とともに
被災地へのその地域の言語だけではない情報支援というものを展開してきた。
FMYYの活動は神戸市長田区にあるたかとりコミュニティセンターの仲間達との
大きな連携で構成されている。
また世界的な災害で出会った様々な団体との大きなネットワークも形成されている。
その中のひとつがBHNテレコムである。
ここは放送通信の専門家集団であり
2004年のインド洋津波で被災したインドネシア、スリランカでの
FMYYが日本事務局を勤める世界コミュニティラジオ放送協議会との連携の中で支援を行った
現地のにコミュニティ放送局設置を支援したときに出会った。
その大きな力と経験とスキルをもった団体との出会いは、
その後のハイチでの同じく情報支援の現場での大きな力となった。
そのネットワークで今回は東北大震災での災害臨時FMへの支援に大きなお力をいただいている。
3月11日地震・津波発生した当日から、FMわいわいでは多言語での震災・津波情報を
多言語で地上波とインターネット配信を行った。
これはその後に続く原発に関連する情報も、正しい情報を得るため専門家のもとに赴き、
インタビューを行い、音声だけではなく、映像での配信も行ってきた。
またそれらのすべての人々が必要とするであろう(マスメディアでは流れない)情報を
毎日のように取りまとめ、日本語のみならず多言語での配信を行ってきた。
この配信は、ラジオ放送だけでなく、番組を通じたfacebook、インターネット配信
そしてホームページ上にテキストファイルと音声でもアップしてきた。
これらの多言語による翻訳や音声収録は、多言語センターFACILの翻訳通訳の登録者と
FMYYのネットワークによるボランティアで行っている。
その後現地の被災地にある既存コミュニティFM局や災害臨時FMなどのリサーチを行い
上記のBHNテレコム、人と未来防災センター、そしてFMながおかなどの協力を得て、
FMYYで流通科学大学の学生達の研修を行い、AMARCJapanのスタッフやFMYYスタッフを
順番に派遣して災害臨時FM局の開設準備、その後の放送業務支援などを行った。
その他世界NGOオックスファムJAPANとの連携の中、被災地対応のラジオを製作していただき
第一陣の支援チームが4月、ラジオ受信機4300台(オックスファム・ジャパンが調達)、
ノート PC10台、HDD10台(BHNテレコムが調達)などを配布したのを皮切りに、
必要とする岩手、宮城、福島の放送局や国際交流協会などの各地へ
ラジオ送付の手配をオックスファムJAPANに依頼、また現地の被災当事者の番組制作のための
機材セッティングや番組制作レクチャーなどを行っていくと共に、
その番組を配信してくれる現地での放送局を開拓している。
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/07/20110709t15024.htm
多言語による震災関連情報、童話や東北地方の昔話、被災者への
応援メッセージ等の放送用コンテンツを渡している。
今後も継続的に行う予定。(てなところでいかがでしょうか。。。)
また女川の蒲鉾本舗高政の販売、大槌町の被災されて女性子どもの手作り品販売
などなど被災地の商品販売促進を行っているので
販売経路を教えてくださるとうれしい。
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神戸映画資料館での福島支援イベント #469
http://fmyykim.exblog.jp/14852611/
2011-05-28T00:01:00+09:00
2011-05-28T00:07:22+09:00
2011-05-28T00:01:01+09:00
fmyykim
地域情報
神戸映画資料館で、福島県南相馬市の支援の会が開催されました。
南相馬に支援に行かれた方の応援カフェです。
福島の酒、福島のお菓子、団子、そしてメチャメチャうまかったなれ豆腐と味噌です。
これはもう豆腐のフォアグラです。
大豆がきっととってもおいしい地域なのでしょう!!
そんな美味しい酒、おいしい大豆を作る土地を、放射線まみれにした!!!という、
私たちの便利追及の近代化にまみれきった生活に「またもや後悔と慙愧の涙」です。
神戸の地震の時とは大きな違い!それはこの自分たちの飽食にまみれきった生活の大きな「つけ」に、呆然とするところです。
天災はこれは防ぎようもありません。予防・減災に努めるのみです。
しかしその後の原子力発電所での次々畳み掛けるように出てくることは、この今の社会を創った大人たちの怠慢、傲慢の瓦礫です。
この始末を少なくとも10台の20台30台前半の若者たちの責任には出来ません。
私自身はといえば、なんと愚かだったかとその自分の愚かさに血の涙です。
署名するだけで満足していた怠慢な母親であり、知る努力、勉強する努力、声を上げるこなど思いもしなかったおバカな母親でした。
この子どもたちの未来を造るために、この子どもたちの子どもたちの世界のために今命をかけて踏ん張らなくてはならないと決意しています。
ますはよく聞き、よく見、心を研ぎ澄まし、正確な情報を発しているのは誰かそれを見極め、その方の下に、はせ参じ、その情報をFMわぃわぃを通じて発信することだと考えております。]]>
関西学院大学総合政策学部山中速人研究室メディアの実践の取材は、先輩でした!#468
http://fmyykim.exblog.jp/14852480/
2011-05-27T23:40:31+09:00
2011-05-27T23:40:32+09:00
2011-05-27T23:40:32+09:00
fmyykim
ラジオ番組
2006年から担当している関西学院大学総合政策学部山中速人研究室のメディアの実践の授業は、考えてみると大学の授業とコミュニティメディアがコラボして行う、中々稀有な連携であります。
毎年、2年の学生たち、3年の学生たち、4年の卒業作品といろいろどういうテーマで、どういうテーマで、コミュニティラジオとして実践できる体験を構成するのか、山中先生と知恵を絞っています。
今年の2年生は、東日本大震災のボランティア支援を実際に学生たちに体験してもらって、それをチームごとにレポートし、「自分たちにも出来るボランティア」「ボランティアは遠隔地でも出来るのか」「ボランティアとはどういう意味があるのか」それをグループで発表してもらうことにしました。
ますは、RMわぃわぃの「私のラジオを届けてね」キャンペーン(5月3日4日5日鉄人広場で開催)を体験してもらいました。
これは神戸新聞で大きく扱っていただいたのですが、なんとその学生番組を2010年3月卒業の元ゼミ生でかつ神戸新聞に入社した田中君が母校の後輩たちを取材にやってきました。
写真左端でメモをとっていうのが、田中君です。
学生のときとは違い、さすが1年間の取材経験が実り、記者らしい発言がなんだかうれしかったです。]]>
阪神教育闘争の聖地、現長田南小学校(当時神楽小学校)を訪問 #467
http://fmyykim.exblog.jp/14852214/
2011-05-27T22:57:00+09:00
2011-05-27T23:02:44+09:00
2011-05-27T22:57:54+09:00
fmyykim
地域情報
神戸市長田区にある現在の長田南小学校
JR新長田駅から沿線沿いに東に5分ほどゴムやケミカルの工場外を5分ほど歩くと長田南小学校に着く。
この道筋には、民団西神戸支部や総連西神戸支部があるという、つまり在日コリアンの生活を支える様々なものが見える場所にこの小学校配置する。
案内は、在日コリアン保護者の会金信鏞さん、聞き入っているのは、東日本大震災で全壊し、その再建のための募金活動を実施している「統一マダン神戸」のみなさんに感謝を伝えに神戸に来られた東北朝鮮初中級学校尹鐘哲校長(中央白シャツの男性)と韓国からのお客様。
この小学校の3階には、日本帝国時代から解放され、自分たちの子どもたちに、自分たちの言葉、自分たちの文化、そして自分たちは卑しい民族ではない!日本民族が自分たちを誇らしい民族だ子どもたちに教える棟に、朝鮮民側もまた誇りある民族なのだ!とその歴史を学ばせたいと願った親たちの師弟教育にかけたその叫びのような歴史資料が展示されている。
この学校は一時期ではあるが、日本の公立小学校=神楽小学校、そして建国小学校、朝鮮小学校の3つの学校があった。先進的な多文化、タ民族共生学校だったんだ!!と感慨深い。
この学校に#466で紹介した金慶海先生も通っていた。]]>
在日朝鮮人の歴史研究家金慶海先生の語る「阪神教育闘争・神戸」#466
http://fmyykim.exblog.jp/14851911/
2011-05-27T22:10:00+09:00
2011-05-27T22:16:08+09:00
2011-05-27T22:10:02+09:00
fmyykim
ラジオ番組
なつかしいなつかしい金慶海先生。
2009年12月にお亡くなりになりました。FMわぃわぃでは在日コリアンの阪神間の生さまを「歴史イリヂョリ」という番組で、いろんなバージョンを語っていただきました。
たいへんな勉強家で最後の最後まで、阪神間の在日コリアンのいろんな歴史を掘り起こし、そして本国の朝鮮人についても、その日本における活動を「大倉山の図書館」にほぼ毎日通って、史実に基づき考察を重ねていらっしゃいました。
1970年代の阪急六甲にある神戸学生青年センターでの「阪神教育闘争・神戸」の講演録がありましたので、それを関西学院大学総合政策学部の山中速人教授がデータ化し、その講演会を主催されたセンターの飛田雄一館長にゲストとしておいでいただき、FMわぃわぃの番組として放送しました。
これはポッドキャスティングとしてあげていますので、一度お聞きください。
慶海先生には、本当に可愛がっていただきました。
中々艶っぽい先生でしたので、お会いするたび「ぽちゃぽちゃやなぁ~~~」「ちょっとはやせたか~~」と手を握りながらからかう~というような柔らかな面もありましたが、本当のお姿は朝鮮半島をルーツとする子どもたちの健やかな育ちを真剣に考える活動家であり、闘争家であることは、収録中のその激烈な朝鮮人の歴史を語る鋭い眼光から容易に知ることが出来ました。
2009年、慶海先生入院中の西市民病院で、たまたま私も入院中の母のもとに行くエレベーターに乗り込むとき、隣のエレベータから、自走式の車椅子に乗って出てこられた先生に遭遇しました。
しかし声を掛けそびれ、そのままになった数日後、先生の訃報をいただきました。
思ったとき、出会ったとき、後回しにせず、すぐしなくては、大きな後悔が残ると、何度目かの私の禍根となった出来事です。
一階のロビーに出てこられたのは、タバコ好きの先生のことです。全館禁煙の病院のただ一箇所喫煙できる救急入口の喫煙場所に行かれるところだったのでしょうか。。。。
そのタバコが原因でしょうか、肺ガンでお亡くなりになりました。
もう一度会いたい方であります。]]>
ウランガラス玉をイアリングとペンダントトップに! #465
http://fmyykim.exblog.jp/14766247/
2011-05-12T21:24:00+09:00
2011-05-12T23:26:02+09:00
2011-05-12T21:24:17+09:00
fmyykim
エンターテイメント
原子力発電のことを勉強するプライベイトセミナーfr、ウランを練りこんだウランガラス玉を4ついただいた。
すご~~~くきれい!光りにかざすと、なんだか吸い込まれそうな色合い。
調べてみると、1830年ごろガラスにウランを混ぜることによって、黄色や緑色の透明なガラスを作れるようになったそうだ。ウランが原子力に利用されるようになるまでは、ガラスの美しいワイングラスや花瓶、アクセサリーというなんとも華やいだもので人々をた楽しませていたらしい。
結構高価そうな感じ。庶民の手には入らなかったような印象だ。
今はウランは、原子力の資源になり下がって(?)しまったが、この時代では優雅な豊かな時間を過ごすための材料として存在したのだ。
現代の「ウラン」とは全く違う意味合いであることを考えると、現代の「ウラン」と言う単語はなんと哀しいことだ。。。
美しい貴婦人の胸元を飾り(私のことではないが)ワイングラスとして、味わいに一層の深みを増して人々を楽しませていたものが、人々の不安の温床の下になっている今日となっている。
ウランガラスのその怪しいも力の最大のものは、真っ暗闇の中で紫外線ランプ(いわゆるブラックライト)をあてると、緑色に妖しく輝き、蛍光を発するということである。
夜明け前の空が青色のとき、空には紫外線が満ちているので、この時、ウランガラスは蛍光を放つらしい。
なんとロマンチックなことだろう~~~その色合いの変化や美しさで、いきっとロマンティックなおとぎ話がたくさん生まれたことだろうと思う。
2011年の今の日本でのこんな哀しい話ではない、人が人として生きる悦びに寄与する鉱物のあるべき姿であった時代の話だ。
時代の進歩、科学の発達という本当の意味を私たちは、もう一度考え直す必要がある、、ということをウランガラス玉をいただいたおかげで知ることとなった。これをくださった物知りの友人に感謝である。]]>
妙法寺川のお花見~そして選挙へ #464
http://fmyykim.exblog.jp/14582720/
2011-04-10T18:23:00+09:00
2011-04-10T18:35:20+09:00
2011-04-10T18:23:55+09:00
fmyykim
地域情報
2011年4月10日日曜日選挙の日、母を連れて妙法寺川に散歩に行った。
母は難病認定患者で、闘病25年、現在は2リットルの酸素吸入が必要になり、今までは一人でもタクシーに乗って美容院など出歩いていたが、酸素ボンベをひいて歩くほどの力もなく、やむなく外出は酸素ボンベ携帯用のバッグのついた車椅子になった。
つまり人の手を借りないと出歩けない。
しかしとにかく外出好き!
そんな彼女にとって、日曜日はイベントで出歩くことの多い娘と、
かつヘルパーさんも来ない家に居なくてはならない「つまらない日曜日」なのである。
本日私は久しぶりの家に居る日曜日、午前中は、冷蔵庫の掃除を兼ねたシチュー作りと床磨きに風呂掃除、そしてハイターでの食器の漂白と大車輪で動き、3時のデザートの後に、母を連れて散歩に出かけた。
出かけてみると世の中は、花見モード。
妙法寺川は満開の桜に、たくさんの家族たちが訪れていた。
「いいお花見やねぇ~~」と喜ぶ母に、この場所が95年の震災当時はブルーシートで出来たテント小屋が並んでいたこと話した。
病気の母には神戸での避難生活は難しいと判断、当時は西神中央から加古川への道が何とか通じていたので、両親には車で母の実家に避難してもらった。
「今は東北の方々が、避難所暮らしされているんやねぇ~~」と感慨深げであった。
きっと岩手、宮城、福島の避難所にも、こんな病気のお年よりを抱えた人がいるかもしれない、、、と思うと、
その大変さが身に沁みる。
花見の後の選挙の投票所は、地域の中学校。
この中学には当時2500人もの避難者が住んでいて、中学生たちは教室に入ることが出来なかったのを思い出した。
私の友人家族の当時の住所は、「神戸市立鷹取中学校北階段下体育倉庫」でした!]]>
素敵な頂き物、、、しかし~~~~ #463
http://fmyykim.exblog.jp/14544404/
2011-04-03T23:52:00+09:00
2011-04-03T23:56:43+09:00
2011-04-03T23:51:58+09:00
fmyykim
エンターテイメント
素敵な頂き物、、、このミトンはなかなかいい感じ!オーブン料理が大好きな私の撮っては優れものです。
特に指輪のきらり~~~が付いてるほうは大変気に入りました。
こちらは自立式「立つ」というしゃもじです。が、が、が、、、、、
これって???そう有用なのかしら???と疑問なんですが。
パーティのときに「バラ寿司」の大皿の横にでも置きましょう!
色合いといいデザインといい中々のお値段と見ました。感謝感謝です。
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被災地への支援、そして自分自身の防御 #462
http://fmyykim.exblog.jp/14544395/
2011-04-03T23:50:04+09:00
2011-04-03T23:50:05+09:00
2011-04-03T23:50:05+09:00
fmyykim
地域情報
FMわぃわぃの神田裕共同代表は大阪の大司教区でカトリックの神父もしている。。。ていうか実は神父が本業でした。
そして神戸での震災からは「たかとり救援基地」の代表でもある。
その救援に関しての鋭い感覚で、非常に有用なキャップを仕入れてこられた。
トップのLEDは非常に明るく、何かのときにつばの裏にあるスイッチを押すだけで、点灯し、手元を照らし、愛本を照らし、遠くからはかぶっている人の存在を知らせます。
またバックの両サイドには赤と青のLEDが点滅し、これもまた発信となります。
おまけにこれを買うと被災地に¥200の義援金が届くのです。
私は早速玄関エントランスの戸棚にかけておきました。]]>
第69回神戸沖洲会総会に参加 #461
http://fmyykim.exblog.jp/14507876/
2011-03-28T14:24:00+09:00
2011-03-28T14:33:04+09:00
2011-03-28T14:24:23+09:00
fmyykim
エンターテイメント
2011年3月27日日曜日阪神春日野道駅下車すぐの西山記念会館での2年に一度の「神戸在住沖永良部のコミュニティ神戸沖洲会」の総会が開催されました。
今年もFMわぃわぃは音響として参加。500人くらいの方々が朝早くからお集まりです。この総会の大きな特徴は、一部演芸大会、そして二部が総会、その後の三部も演芸大会です。
沖永良部のさまざまな音曲がでるのは当たり前ですが、なんと今年は中国変臉(へんれん)の方もご参加でした。
中国変臉(へんれん)はだいぶ前ですが、映画で診たことがあります。
「變臉 この櫂に手をそえて」というタイトルでした。
ストーリーは、年老いた変臉(へんれん)の名手ワンは、小舟に家財道具を積み込み、川沿いの町や村を渡り歩く大道芸人。この変面の技は、門外不出。 ワンは、8歳の男の子を「買った」。自分の孫として育て、ゆくゆくは変面の芸を伝えようとしたのだが、ゴウワーというその子どもは、実は女の子だった・・・・・ っていう話でした。
実際今でもこの芸の伝承はなかなか難しいらしい。
この方はどこでそれを身に着けたのか。。。残念ながらお話しする時間はなくお聞きすることが出来ませんでした。しかし単純でかつ非常に面白い感動的な芸です。
よく考えるとただ顔の面が変わる、、というだけなのですが。
震災の現地でも「笑い」ということは必須だと思います。笑って問題が解決することなどないのですが、しかし人間にとって必要不可欠なものだということは確信があります。]]>
高齢者、障害者の避難は難しい! #460
http://fmyykim.exblog.jp/14467691/
2011-03-21T12:04:00+09:00
2011-03-21T12:25:37+09:00
2011-03-21T12:04:23+09:00
fmyykim
地域情報
現在私の母は医療酸素機器で24時間酸素を吸入している。自宅では酸素製造機器で酸素を空気中から精製して吸入している。
外出時には、酸素ボンベ(100%酸素)を携帯できる車椅子で移動している。
自宅の酸素精製のためには、電気と精製水が必要だ。水はなんとか手に入っても、停電したら万事窮す。
予備ボンベでがんばれるのは、せいぜい3日。(自宅には3本置いておくようにしているので)
被災地の映像を見るたび、この母を連れて避難所には行けないな、、、と思う。
災害時、高齢者のおばあちゃん、おじいちゃんが助かり、孫が亡くなるということも起こりうる。
実際に神戸のときもおばあちゃんを助けることはできたが、高校生、中学生、小学生の孫が亡くなり、両親とおばあちゃんが生き残った、、、という知り合いがいた。
須磨体育館での毛布に包まれた孫たちの遺体のそばに座り込んだおばあちゃんの嘆きに、なんと応えてよいか言葉が見つからなかった。
ひどい話だが、次神戸に地震が起こったら、母より娘を守りたいと思う。
家の中で一番地震対策されたベットに寝ている母なので、地震警報が鳴るたび私の視線は娘だけに向けられている。]]>
震災情報・被災情報 #459
http://fmyykim.exblog.jp/14467673/
2011-03-21T12:01:00+09:00
2011-03-21T12:29:08+09:00
2011-03-21T12:01:20+09:00
fmyykim
ラジオ局
FMわぃわぃもメンバーであるNPO法人たかとりコミュニティセンターにはいろんな仲間たちがいます。
ITを使って様々な情報支援をする専門家集団ひょうごんテックもそのひとつです。
そのメンバーのお一人石島さんがQRコードを付けた情報リンク集を作ってくださいました。
被災地では、携帯などが唯一のライフラインになる中、アドレスを打ち込むのも大変だろうという「おもいやり」「気づき」から生まれたアイデアです。すばらしい!!
老眼鏡やめがねを失くしてしまったという方もきっと多いはす。
例としてはFMYYのQRコードをアップしました。
≪メッセージ≫
現地で寒い中、モバイル端末などでアドレスを打ち込むのは大変ではないかと思い、QRコード付きのリンク集を作ってみました。こういうのって役に立つでしょうか?印刷して避難所の壁に貼ってもらうとか。
2011年東北地方太平洋沖地震についてまとめた情報などへのリンク ~アドレスを手で入力するのは面倒だと思ったのでQRをつけてみました・日々アップデートしています~
http://www.wheel.gr.jp/~dai/2011tohoku-jishin/]]>
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